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大阪高等裁判所 昭和30年(ラ)133号 決定

抗告人 平野繁敏

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告の要旨は別紙のとおりである。

仍て考察すると原審判は抗告人所論のとおり、その挙示の各証拠を綜合しても本件各遺言事項について、遺言者の口授の内容が本遺言の趣旨と一致するものとは認められないとし、又証拠により、遺言に立会つた証人麻田恭三、大屋拳吾がいずれも遺言の内容を聞いていないから、本件遺言は遺言者が口授し、証人の一人が之を筆記して遺言者と、他の証人に読聞かせ、証人が筆記の正確なることを承認した事実を認めることができないとの理由で、本件遺言は遺言者の真意に出たものとの心証を得られないと判示したこと原審判自体から明である。しかしながら、遺言の確認は遺言の有効なことを確定するものではなく、単にその遺言書が虚偽のものでなくして本人の真意に出たものであることの一応の心証を確保しておくものにすぎないのであるから、遺言書作成の方式に違反したとの一事により、直に遺言が本人の真意に出たものでないとの結論に到達するものではない。従つて原審判の理由はこの点において不当であつて、抗告人の主張は理由がある。しかしそれとともに遺言の確認を受けるためにはそれが遺言者の真意に出たことを必要とするのであるから、原審判のように遺言者の口授の内容が遺言書記載の遺言の趣旨と一致するか否かの判断をなしたのみでは足りないのであつて、たとえ口授の内容と遺言書の記載とが一致しても、真実遺言者がかような遺言をなす意思を有したとの心証を得られない場合には、確認の請求を許容することはできないものと解すべきである。

従つて当裁判所はあらためて本件遺言が遺言者高瀬新作の真意に出たものであるか否かを探究してみると、次のとおりである。先ず、本件記録に綴られた筆頭者高瀬新作の戸籍謄本及び原審証人麻田恭三、大屋拳吾、大宮綾子(第一、二回)の各証言、並に原審における抗告人本人審問の結果(第一回及第四回)を綜合すると、遺言者は明治三一年四月一五日生れで本件遺言当時満五六才であり、重態であつたが意識は明瞭であつたことが認められるから、本件遺言をなし得る精神状態にあつたものというべきである。次に原審証人大宮綾子高瀬菊子(各第一、二回)村本たまの各証言を綜合すれば遺言者が妻菊子と結婚したのは昭和一三年九月のことで同人との間は由自、正彦、弘夫の三男を挙げ吹田市で薬局を開き終戦後は妹村本たま方で製剤に従事していたが、昭和二三年頃より不和のため妻子と別居し、昭和二五年頃より、以前遺言者方の雇人であつた大宮綾子と同棲し同人との間に一子新一を挙げたが認知手続を経なかつた事実が認められる。而して原審における抗告人本人の第七回審問の結果によれば昭和三〇年一月二一日の遺言者死亡当時の財産評価額は金四〇〇万円以内であつたことがうかがわれる。

一方本件遺言書の内容を検討すると、その冒頭に大宮綾子に対し遺言者の生前生活のために支払はれた食費、医療費その他の債務の立替支払(北野病院に支払うべき一切の医療費債務を含む)による借入金合計八〇万円を優先支払うべきことを定め、次に遺言者の妹村本たまに対する金一〇万余円の債務を支払つた残額を妻子に対する分配その他に処分することを定めているのであるが、右大宮綾子に対する立替金債務については原審証人大宮綾子(第一回)は遺言者が同人と同居するようになつて後間もなく病気にかかり、遺言者の収入である家賃の支払が滞り始めてからは自分が生活費を負担していたものであるが、自己も別に財産はなく、菓子小売により生計を立てている旨陳述して居り、果して金八〇万円に及ぶ貸金をなす資力があるか否かには疑問があるばかりでなく、同人と遺言者とは事実上の夫婦として同棲していたのであるから、之に要した生活費若くは医療費をいずれが負担したとしても必ずその一方より他方に対する貸金として計上すべき性質の金員と見るべきかも問題である。更に原審証人高瀬菊子及び村本たまは遺言者には毎月一万五〇〇〇円乃至二万円の家賃収入があつたと陳述する。かような見地から第二号証の一、二、第三乃至第五号証第六号証の一、二を精査してもいまだ大宮綾子より遺言者に対し金八〇万円若しくは少くとも之に近い金額の立替金債権があつたとは到底認めることはできない。而してこの金額が遺言者の総財産額に対し約五分の一に相当するのである。してみれば遺言者がかかる多額の債務を大宮綾子に対して負担することを前提としてなした本件遺言はすべて遺言者の真意に出たものと認定するわけにゆかない。本件にあらわれた一切の資料を綜合しても以上の判断を左右するに足りない。

従つて遺言書作成の方式の点について判断をなすまでもなく、本件遺言確認の請求は失当と見るべく、之を却下した原審判は結局相当であつて、本件抗告は理由がないから之を棄却すべきものとし、主文のとおり決定する。

(裁判官 朝山二郎 坂速雄 沢井種雄)

抗告の趣旨

一、申立却下の原審判を取消し、亡高瀬新作がなしたる遺言を確認する。

との趣旨の御裁判を求める。

抗告の理由

一、原審判はその理由として、

(一) 先ず本件遺言が遺言者の真意に出たかどうかを判断するためには、遺言者が遺言当時意思能力を有し正常の精神状態にあつたかどうかの点と、本件の如く遺言事項が数ある場合その各事項に付き遺言者の真意に出たものであるかどうかの点を検討しなければならないと前提し、

(二) 審査の結果として、遺言者が遺言の当時意識が明確で意思能力を備え本件遺言をなし得る精神状態であつた事実を肯定せられたが、

(三) 本件遺言書記載の各遺言事項が遺言者の真意に出たかどうかの点に付ては、

(a) 遺言者の口授の内容が本件遺言書記載の趣旨と一致するものとは認められない旨を認定せられ、且つ

(b) 本件遺言は遺言者が口授し証人の一人がこれを筆記して遺言者及び他の証人に読み聞かせ証人が筆記の正確なことを承認した事実を認めることができない旨を認定せられ、

右に因り結局本件遺言が遺言者の真意に出たものであるとの心証が得られない旨判定せられ、

右理由により本件申立を却下されたものである。

二、而して原審判は、

(一) 前掲(a)の事実即ち「遺言者の口授の内容が本件遺言書記載の趣旨と一致するものとは認められない」との事実を、

(1)  第一号証、第二号証の一、二、第三号証乃至第六号証、第七号証、第八号証及び第九号証の各一、二、第十号証の書証と、

(2)  証人麻田恭三、同大宮綾子(第一、二回)、同高瀬菊子(第一、二回)、同高瀬由自、同高瀬正彦、同高瀬弘夫(第一、二回)、同村本たま、同大屋拳吾の各証言と、

(3)  申立人本人審問(第一回乃至第七回)の結果と、

以上各証拠を綜合してこれを認定せられ、

(二) 前掲(b)の事実即ち「遺言の口授、筆記、読み聞け、正確承認」の事実は、前示証拠のうち証人麻田恭三及び同大屋拳吾の証言の一部を援用して、両証人共本件遺言を聞いていないから、これを認められない旨を認定せられ、

以上二事実の認定により、本件遺言が遺言者の真意に出たものであるとの心証が得られない旨の判断を下されたものである。

三、併しながら、民法九七六条に規定せる遺言の確認は、遺言の有効なることを確定するものではなく、一応遺言者の真意に出たことの心証を得れば足りるものであつて、遺言が法定の方式に反する無効のものであつてもこれは確認審査の対照にならないことは、夙に判例の示すところである。(大審院昭和三年(ク)第九八二号昭和四年六月四日第二民事部決定、民集八、五七八頁、評論一八巻民法一一一四頁所載)

そして原審判理由に摘示する前掲(b)の事実は、若し原審判のこの事実認定に誤りないとしても、これは竟畢本件特別方式に基く遺言の法定方式の違背を指すものであるから、本件確認審判の対照たり得ないものであり、この点に於て既に原審判は前示法律の解釈を誤まつたものと思料する。

のみならず、原審判が「証人麻田恭三及び同大屋拳吾両名共本件遺言の内容を聞いていない」との事実を認定せられたことは、全くの事実誤認と断ぜざるを得ない。本件記録上の証拠を通覧すれば、本件遺言の席に居合せた者が、遺言者の外右麻田大屋両証人と証人大宮綾子及び抗告人本人以上四名であつたことは明白であるが、その内麻田証人を除く他の三名は全部異口同音に本件遺言の口授、筆記、読み聞けの事実を承認して居り、唯一人麻田証人のみが読み聞けの事実を否定する趣旨の証言をしているに過ぎない。麻田証人のこの否認は何らかの錯誤に出づるものであつて、筆記証人たる抗告人の読み聞けは事実その場で行はれたに拘らず、同人は主として遺言者に向つてこれをなしたため、麻田証人はその傍にありながら特に傾聴しなかつたがための誤解である。

元来麻田、大屋、両証人はいづれも遺言者の治病担当医師であるに止まり、本件遺言とは何の利害関係も存しないからその具体的内容に無関心でありこれを判然と記憶しないことは寧ろ当然である。

従て両証人は原審判摘示の如く「本件遺言の内容は聞いていない」のではなく、「聞いたけれども具体的の内容は多くを聞き流しはつきり記憶していない」のが事の真相であつて、しかもその口授に基く筆記の正確に付ては揃つてこれを承認しているのであるから、本件遺言の方式に付ても何ら欠くるところないものと信じる。

四、およそ遺言が遺言者の真意に出たかどうかは、遺言の口授内容に示された遺言者の意思が、証人の筆記により遺言書に表示された遺言の趣旨に合致するかどうかを意味するものと解する。故に口授を筆記するに際し口授内容に変更増減を加えない限り右の不一致を招来することはない筈である。

原審判は前掲第一項(a)の事実即ち「本件遺言者の口授内容が遺言書記載の趣旨に一致するものとは認められない」旨判定せられたが、本件遺言書記載のどの遺言事項にこの不一致があるのか、また如何なる程度に増減変更があるのか、それを明示されないのでこれを具体的に釈明反論することができないが、この認定資料として原審判の摘示する前掲証拠を全般に亘り仔細にこれを検討すれば、実験法則上寧ろ反対の結論を導くことが自然妥当であつて、到底原審判の帰結するが如き事実認定の資料とはなり得ないものと思料する。

本件遺言に至るまでの経過を右証拠に従つて概説すれば左の通りである。

(一) 遺言者は昭和二十九年十一月六日第九号証の一、二遺言書と表示する書面により抗告人平野に対し遺言作成の必要なる事情を伝え、その作成に同人の援助とアドバイスを求め、

(二) 仍て爾来両者の間に協議を重ねた結果、漸くにして昭和三十年一月七日第一号証遺言書を作成するに至つたが、

(三) 右遺言書が合法要式を備えないため、公正証書による遺言書を作成することに変更し、同年一月中旬第七号証遺言書草稿等を順次三回に亘り作成し、その都度抗告人平野はこれを公証人に提示しその指導の下に遺言書作成を委嘱すべく相談中のところ、

(四) 遺言者の病変により右公正証書に基く遺言書の作成をみるに至らずして、遂に本件特別方式遺言書を作成するの余儀なきに至つたこと。

そして右各遺言書の内容を比較対照すれば、日を経るにつれ順次これが整備せられ且つ明確化された進行の跡を窺うに足り、その一部に多少の改変はあつてもその大綱に於てその趣意に於て一貫して変りないことが看取されると共に、抗告人平野が終始本件遺言者の遺言にアドバイスを与えその完成に協力尽瘁したことが諒得せられ、従て特別に反対の事情が想定されない限り、本件遺言の口授筆記に際しこれを擅に改竄する謂れのないことは、右の経緯に徴しても洵に明白であると信じる。

なお原審判挙示の他の証拠を逐一検討してみても、吾人の常識を以てしては本件遺言の口授筆記に改竄を加えられたことを窺うに足る証左は一つとして存在しない。

五、原審判は、本件遺言確認の申立あつて以来実に五ケ月間に亘り詳細なる証拠調と慎重なる審理を重ねられたものであつて、その労は洵に多とし感謝敬服するものではあるが、民法第九七六条の遺言は、疾病その他の事由により遺言者が死亡の危急に迫り普通方式による遺言を為す能はざる場合、その救済方法として定められた簡易の特別方式であつて、従てその確認は単にその方式につき形式的要件を具え一応遺言者の真意に出たことの心証を得れば足りるとし、且つその申立期間も遺言者死亡后二十日の短期間にこれを限定し畢竟その真意性のみを早期保存せんとするものである。

しかるに原審判は右真意性を追求するの余り、恰かも本件遺言の実質的有効無効を決定判断せんと努力せられたかの感があり、審査の方向を逸脱されたに等しい結果を生じたものと考えられる。

本件遺言書の遺言事項が多岐に亘りその内容が難渋を極めていることは、抗告人平野のアドバイスが未熟不手際であつたためであると共に、他面これに相応して遺言者の家庭事情が複雑紊乱していた結果に外ならない。若し原審判が右遺言者の家庭事情につき就中遺言者とその法定相続人との間柄に関し、更らに詳密な証拠調をなしその実情を把握されたならば、そして遺言者と抗告人平野との間の親子にも等しい交情関係を会得されたならば、本件遺言の内容が遺言者の真意に一致することをたやすく理解されたであらうけれど、これ等の点に関しては、原審判の前示長期詳細な証拠調にも拘らず、これに多くを触れず閑却されている感のあることは洵に遺憾である。

抗告人平野は遺言者の生前その日常万端の相談相手となり、本件遺言に付ても全幅的信頼を受けてその作成に一意協力したものであるに拘らず、法的知識に欠くるためその遺言が法定方式に違反し無効と看做されることあるは格別恰かも筆記証人たる抗告人に改竄の疑いありとの同様の理由によりこの確認を排斥せられることは、痛痕の極みであり到底これを甘受することが出来ない。原審判はこの点に著しい事実誤認があると確信するから敢て茲に本抗告に及んだ次第である。

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